『ヒロシマ日記」で世界に原爆と放射能被害を訴えた元広島逓信病院長 蜂谷道彦の顕彰碑除幕式



自らも被爆しながら広島逓信病院での治療をとおして、のちに『ヒロシマ日記』として
医学の立場から原爆や白血病など放射能のおそろしさを世界に知らせた故蜂谷道彦博士の
業績を後世に伝えようと
86日、顕彰碑の除幕式が博士生誕の地、岡山市北区富原の富原
公民館前庭で行われた。

66年前と同じ朝から暑日差しが続く午前8時ころから式は始まり、参加者全員で黙とう、
地元子ども会の皆さんの手により白い幕が除かれた。高さ1m余りの台座には「ヒロシマ日記
 蜂谷道彦顕彰碑」と刻まれ、原爆の光の下にうごめく黒漆色の人々とその上にハトが舞い、
明るい未来をへとステンレス製の平和のモニメントが朝の陽光を反射すてまぶしく光輝く。

広島から駆け付けた社民党・金子哲夫氏は挨拶で「自らも被爆しながら、多くの被爆者の
治療を通じて、医学の立場から白血病など放射線の恐ろしさを世界に伝え大きな業績を残された。
『ヒロシマ日記」』は当時世界18カ国に訳されている。」「今日1本の苗木を持ってきた。
被爆当時に逓信病院の中庭にあって、いま原爆資料館のそばにある被爆アオギリの種子から
育てた“2世”で、平和を願うものとして、この地にこそふさわしいのではないかと持参した。」
と被爆アオギリ2世の苗木を顕彰会事務局長の森暢子さんに手渡した。

森暢子さんは「記念碑としてだけでなく、平和を求めるシンボルとして、ここから発信
していきたい」と語り、アオギリ2世も平和教育に活かされ、そのながれを吸い上げて、
大きく育っていくことであろう。


  森暢子 著 「蜂谷道彦とヒロシマ日記」

 

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