本文へスキップ

格差のない平和な社会を目指して!

TEL. 082-942-2768

〒730-0803 広島市中区広瀬北町3-11(和光広瀬ビル2階)

特 集SPECIAL

2018年05月03日

 

  5・3ヒロシマ憲法集会 2018    (2018/05/03)

    平和といのちと人権を! ハノーバー庭園に1800人集う

 5月3日(木)13:00から、ハノーバー庭園(広島市中区)で『平和といのちと人権を!』をスローガンに「5.3ヒロシマ憲法集会2018 9条改憲NO!」が開かれました。

 開始時間には、前日の雨がうそのように日射しが強く汗ばむくらいの陽気でしたが、1800人が参加し集会に臨みました。
 佐古正明さん(広島平和運動センター議長)は開会挨拶で「平和憲法が今、危機を迎えている中、安倍政権の改憲策動を何としても阻止しよう!」と発言しました。

 続いて、田村順玄さん(岩国市議会議員)が「膨張する岩国基地の実態」の特別報告がありました。

 「岩国基地が極東最大の軍事戦略基地としての位置付けがされ、益々巨大化されています。新しい軍事訓練が次々と計画され、今日(5/3)からは、ロナルドレーガン空母への着艦訓練が開始されました。先日はスーパーホーネットが空中給油訓練を行い、不具合が起こり飛行機の給油口へホースが着いたまま基地へ帰着しました。
 今後もこうした危機状況が増えていく事は必至です。F35B戦闘機からF35C戦闘機が新たに配備されようとしていますし、事故が多く問題視されているオスプレイも順次切り替えて増えていく方向にあります。
 現在の市長は、一転して国からの基地の拡充を認める代りに(元、井原市長が厚木からの艦載機移転反対を表明したとたんに国は補助金49億円のうち35億円を突然カットすると通告してきたのに)補助金交付が再開されましたが、地域の活性化に繋がるという謳い文句の陰では住民・近隣市などが抱える危険度はかなり増しています。
 愛宕山開発に至っては、広大な土地に米軍基地関連施設の充実化が図られ、住居や生活関連施設が建設されました。そして、住民への施設の貸出しを可能にしました。建設された野球場では、プロ野球の2軍戦の試合もあり多くの人が集まりました。
 「岩国基地開放デー」には、全国から20万人を超える人たちが集まり、色々な企画を体験し楽しんでいる状況があります。如何にも「開かれた基地」をアピールしているようですが、私(田村市議)が一緒に参加しようとすると拒否されます。解放デーなのに私が基地内に入る事は許さないのです。意見を持つ者には態度を急変させ本性を現わしてきます。こうした軍事的・政治的な事はオブラートに包んで、飲み込ませようとする政府のやり方に憤りを覚えます。
 「岩国は実際には近いのですが、実情は遠い市」であるような感じがします。どうか、岩国基地の実情をしっかりつかんで頂いて、そして多くの人に話してください。私自身も地元や各地域で実態を発信していきます。一緒に頑張りましょう!」と力強く訴えられました。

 そして記念講演として「沖縄から伝えたいこと」と題して、仲村未央さん(沖縄県議会議員)から講演を頂きました。

 以下要点を掲載します。
 未央さんの大叔母である「スエ」さんが「ひめゆりの学徒」として亡くなられた話しから始められました。
 「スエが亡くなる最後の話を同窓生から聞いて愕然としました。組織的戦闘が終わった1945年6月23日から、1ヶ月も過ぎた7月21日まで本島最南端にいたという事でした。その頃、住民らはすでに収容所生活を始めていた頃なのに、何故1ヶ月も過ぎて死ななければならなかったのかという疑問が生じました。
 後に姉である「フエ」が80歳を過ぎてその疑問について話してくれました。「私たちのせいだ。私たち教師がどんな事があっても捕まっては駄目だと教えてきた。捕虜になって辱めを受けるより『死』を選びなさい」と教えたせいだと・・・。
 この話を聞いて、多くの少女たちは情報も知らされず、食べ物が無くなっても投降する『恥』を選択する余地もなく「国家のために」は幾度も聞いたが、『生きる』という事が尊いと誰からも教わらなかったんです。『死』を迎えるしか選択が無かったと思うととても無念です!
 沖縄にある米軍基地はその殆どが民有地です、それを銃剣とブルドーザーで奪ってきました。返還運動が起こっても、政府・国家が目の前に立ちはだかります。
 そして「日米地位協定」がそれに追い打ちをかけています。普天間、嘉手納の9割近くが民有地です。戦後70年が過ぎても未だに自分の土地が戻らない事こそ異常な事態です。
 日本政府の責任に於いて『沖縄戦の実相』を過去に一度も調査していないという事を御存じですか?
 国が1947年から2年かけて行った『一般戦災被災調査』は北海道から鹿児島までが対象であり、復帰前も復帰後も『沖縄戦』は除外されたままなのです。
 戦争による住民の犠牲は、広島は県民13名に1名、長崎は22名に1名、東京は33名に1名の割合と細かく出されていますが、軍民一体化の地上戦で4名に1名が犠牲となったと沖縄戦については全く触れられていません。
 沖縄が本土復帰した1972年から5年後に行われた『全国戦災史実調査報告書」は2009年まで続けられましたが、報告書の冒頭にあるように「46都道府県における・・・」とあるように沖縄県は対象外になっています。なぜ全国は47都道府県ではないのでしょうか?
 政府の公式見解は「当時の行政文書が残ってないことから不明である」という一点張りです。調査する気になればいくらでも証言や記録など事実に近づける資料はあります。沖縄戦を触れさせると困ることがあるのでしょうか?
 沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁に『平和の礎』があります。これは大田昌秀元沖縄県知事によって建立されました。この石碑には名前までは解らなくても集落の隣人らの証言などから<○○さんの二男>、<逃げ込んだ壕の中で産声をあげ命名を待たずして断たれた赤子>など『生きた証』として、また敵兵として上陸した者など国籍を問わず、軍人・民間人を問わず失われた『生きた証』が等しく並んで刻銘されています。その数は24万1468柱(2017年)です。
 住民を巻き込んだ地上戦は筆舌に尽くしがたいほどの犠牲を生みます。住民を盾にした持久戦ほど醜いものはありません。乳飲み子が泣けば母親に口を塞がせ、子供たちに手榴弾を持たせ自決を迫らせたりしました。
 また学童疎開船が米軍の魚雷で沈没し、814名の学童を含む1462名が犠牲となった『対馬丸』の被害実態などなど、太平洋戦争を語る上で『沖縄戦』の実相を国民が共有する事は欠かせないはずです。政府からすれば、次へ備える為には不都合であり支障になるのでしょうか?
 こうした事を考えると今の憲法の中でさえ、政府の姿勢は沖縄県民としては民主主義国家とは思えません。だからといって憲法を変える事にはなりません。この憲法にある理念・理想は決して曲げてはならないと思います。それが一番わかるのも沖縄県民だからです」
と話されました。
 屋外での汗ばむくらいの日射しでしたが、参加者は仲村さんからの報告を静かに真剣に聞き入っていました。

 講演後に「5.3ヒロシマ憲法集会アピール」を採択し、参加者1800人が一斉にアピール行動を行いました。

 閉会後は14:45からAコース(商工会議所~中央郵便局)、Bコース(商工会議所~銀山町)の2コースに分かれて市内デモ行進を行いました。

 集会アピール





【お知らせ】
  5・3ヒロシマ憲法集会
       (2018/05/03)

    9条改憲NO! 平和といのちと人権を!

  と き:5月3日(木・祝日) 13:00~14:00  デモ=14:45~16:00
  ところ:ハノーバ庭園(旧市民球場の北側)



 







バナースペース

社民党広島県連合

〒730-0803
広島市中区広瀬北町3-11
 (和光広瀬ビル2階)

TEL 082-942-2768
FAX 082-942-2026